増沢末夫とは

増沢末夫(ますざわすえお、1937年10月20日-)は、北海道出身の日本中央競馬会 (JRA) に所属した元騎手、元調教師です。

人物・経歴

中学卒業後に鈴木勝太郎厩舎に入門しました。1955年に馬事公苑騎手養成長期課程を受講して、1957年に騎手デビューしました。1966年に日本ダービーをアサデンコウで優勝して重賞初勝利をあげています。

1970年代の日本で社会現象と呼ばれるほどの人気を集めた国民的アイドルホース・ハイセイコーの主戦騎手として関東有数のトップジョッキーとして活躍しました。

44歳で初のリーディングジョッキーを獲得、50代で年間100勝達成など中年期以降に顕著な活躍を見せ「鉄人」の異名をとります。1991年に中央競馬史上初の2000勝を達成しました。

その翌年の1992年2月23日に騎手を引退しました。通算2016勝を上げ当時の中央競馬史上最多勝を記録しました。

引退後は、調教師に転身し2008年に定年引退しています。調教師成績は3165戦279勝(うち地方58戦7勝)でした。

また、主戦騎手を務めたハイセイコーの引退に際して発売された増沢が歌う『さらば、ハイセイコー』は45万枚を売り上げる大ヒットとなりました。

義弟に現調教師の鈴木康弘。長男真樹の嫁に増沢(旧姓牧原)由貴子がいます。